ある種の精神科患者の評価モデルを考える

精神科の疾患概念は曖昧なものが多い。

乱暴に言ってしまうと、いわゆる潔癖症なんて手を洗う回数が著しく多いだけであって、もの凄くきれい好きな人と、軽症の潔癖症の人なんてほとんど差が無い。

なので精神科疾患は「社会生活に問題が出るかどうか」を基準としているものが結構ある。今の社会で生きていけるならとりあえず大丈夫で、生活できないなら何とかできるようにするという考え方だ。


話は変わって、人が他人を好きか嫌いか評価するとき、それは様々なパラメータによって決定される。例えば「ストレス耐性」というパラメータを用いる。
僕は個人的に、ストレス耐性が高い人が好きで低い人が嫌いである。このようなパラメータを沢山組み合わせて総合したもので、人は他人を好きか嫌いか評価している(というモデルで考えてみる)。


さて最近よく考えるのは、このパラメータ評価モデルをある種の精神科患者に適用すると気持ち悪いことになるなー、ということだ。
さっき例に出したストレス耐性も、低すぎると社会生活を維持できないので病気ということになる。病気の人を差別するのは道徳的にアウトなので、病気のラインを突破した時点でその人を「嫌い」と評価してはいけなくなる。つまり図にするとこんな感じ。

いかにも気持ち悪い。図の2つの黒丸を比べると、ストレス耐性としてはわずかな差でしかないのにも関わらず、人から受ける評価は段違いになってしまう。

この気持ち悪さを何とかスマートにするモデルはないかなーと精神科の先生に聞いてみた。まず言われたのは、
「好き嫌いという感情を主体にした図だから、病気ラインのところで道徳という理性を持ち出した時点で断絶が出るのは当然だろー」と。
うーん、確かにそれはそうだ。でもこの断絶は気持ち悪すぎるので、次の図を考えてみた。

個人的には断絶がスッキリしたし、他人に対してポジティブフィードバックをするがネガティブフィードバックをしないという方法はありなんじゃないかと思った。ただし少しでも嫌いな場合は理性を発動してそれを隠さなければいけないので、このモデルを運用するにはエネルギーが必要になりそうだとは思った。
これに対して先生は、「そのモデルだと不公平性に違和感がある」と。他にも二人で、
病気のラインは精神科医によってある程度変動するのでそれを考慮した方がよいのでは?とか、これはある一時点での話だからもうちょっと時間の概念いれて変動させても良いのでは?とか、30分くらい議論していた。
そして最終的に先生が「じゃあこうすればいいじゃん」って出したモデルが次図。

「全員好きになればいいんだよ」
おおー・・・!!
個人的には、このモデルだと誰に対しても同じく超ポジティブフィードバックになるので、競争や成長との親和性が低くてちょっと違和感があったが、
「それは君だけがそうフィードバックしているだけで、他の人達は色んなフィードバックしているんだからそれでいいんじゃない?子供は勝手に育つっていうでしょ」と一蹴。

いやしかし、こんなところで隣人愛みたいな話になるとは思わなかった。それにこんな凄すぎる評価モデルを実際に回せるようになるためにはどんだけ修行が必要なんだ。病気の断絶は越えたけど、今度は今の自分と目指すべき自分の断絶が大きすぎるぜ・・。