フォトリーディング受講した

たくさんの情報を圧倒的スピードで処理したいので受講した。

魔法のような方法論ではなく、あくまで誰でもできる技術。ちゃんとやったら100人中99人はできると思われる考え方だった。

まあ10万の価値はないような気がするけど。5万くらいの価値ならあると思う。


フォトリーディングの手順は

1、準備

2、予習

3、フォトリーディング

4、復習

5、活性化


となっていて、いわゆるフォトリーディングという1秒に1ページのペースでペラペラめくるっていうのは一つの段階に過ぎない。この各ステップをしっかり行うのが重要。



1、準備 1分

みかん集中法を使って集中力を高め、さらにその本を読む目的を明確化する。みかん集中法とは、後頭部の2,30cm後上方にみかんが浮かんでるイメージを持って集中するというやり方。僕の場合はまず後頭部にみかんが接触してるイメージをとって、その後みかんが厳かに浮かび上がり、なぜか輝き出すイメージになったので、おミカン様と呼ぶことにした。

明確化はしっかりやらないと漫然と本を読むことになってしまうので、なぜその本を読むのか理由をよーく考える。



2、予習 1分

本の全体的な構造を把握する。特に目次を読み込んで構成を知る。ここでこの本をさらに読みすすめるかの決定をしたり、この本によって解決したい質問を考える。



3、フォトリーディング 5分

まず準備として本のカバーをとったりめくりやすい癖をつけたりする。そして高速学習モードに入る。これは 体のリラックス→心のリラックス→綺麗な光景を思い浮かべる の3段階で、無意識へアプローチできる環境を作ること。

そしてはじめのアファメーション(肯定的自己断言)。これは「私はフォトリーディングしている間完全に集中している」というような文言を心の中で唱えること。

やっとフォトリーディング。見るともなく本全体をみながら1ページ1秒のペースで無心にめくっていく。誤解されやすいがこれをやりながら内容は理解できていない。

正確に言うと意識的には理解できていないが、無意識にはしっかりと全ての情報が入力されている。ネット上の情報を自分のPCにダウンロードしているイメージが分かりやすい。

最後に終わりのアファメーション。「私の無意識は、この本の情報を完全に理解できた」とか唱える。



4、復習 12分

フォトリーディング終わった直後に復習する。まずは2分半かけて、予習でおこなったように全体の構造を把握する。目次を詠むのが効果的。

次の2分半でトリガーワードを20−25個抜き出す。これは10-20ページ毎に一回本を開き、その中から心に留まった短いフレーズを抜き出すというもの。つまり全体の10-20分の1しかページを見ていないことになるが、それで十分の抽象化ができているという考えのもとに行われる。

最後に7分かけて、この本で知りたい質問を5つくらい作る。著者に語りかけるような感じで作る。



5、活性化 20−30分

これを始める前に、5分から1晩程度の時間を空ける。これは生産的休息というもので、これによって無意識での情報のつながりが発生する時間を十分取れることになる。僕の場合は深海で光る生物がお互いに呼応してだんだん光が強くなっていくイメージ。

次にスーパーリーディング&ディッピングや、スキタリング、高速リーディングを用いて質問の答えを探す。各読み方の詳細は割愛。

このときマインドマップを用いて逐一要点を書き留めることで、より理解が深まる。



これがフォトリーディングの全貌。

全部で1冊あたり40−50分。超簡単なビジネス書なら普通読みでもそれくらいで読めるが、内容の理解の程度が全然違う。しかも各段階の所要時間は、だんだん短くなっていくし。

おそらくマインドマップの効力によってものすごく理解が亢進している。これ書かないとそこまで構造的に理解できない気がする。


ふむ、しかし普通の読み方っていうのはかなり冗長で受動的だなーと思った。フォトリーだと情報量落ちると思われそうだけど、記憶の定着からすると段違いだぜ。普通読みで読了後に「なにかいてあった?」って訊かれたらちゃんと要点まとめれないし。フォトリーなら(マインドマップの力もあり)、しっかりと要点を覚えれている。

一番心配な点はフォトリーディングがちゃんと習慣として定着するかどうか。昨日今日はやる気があって他者の目もあってしっかりやってるけど、家で一人で普段の生活の中で上手く運営していくのは別のエネルギーが必要だ。習慣化のことで講師に色々質問したが、dataがないような質問にならざるを得ないので役に立つ答えはあまり返ってこなかった。しかも僕がしつこく訊くもんだから、最終的には若干嫌われてちょっと面白かった。


これからの課題は、

専門書にも使えるように自分でちょっと改造すること。

定着させるために2ヶ月で60冊をフォトリーディングして、なおかつマインドマップも作成する。

新人が飲み会で歓心を勝ち取る何個かの極意

新人は歓迎会やら何やらで断れない飲み会が多いこのごろです。

いやだいやだ言ってないでライフハック的に嬉しくなる(職場で可愛がられるようにする)にはどうすればいいか考えてみましょう。



1.まずその場を仕切ってる人を見切る。


その飲み会にもよるが、

その人が喋るとみんな話を聞かないといけないくらいエライ人が一人くらいいて、

その下は4〜5人くらいで喋ってるときに最も発言権のある人が何人かいるというような20人くらいの会を想定する。

そして最高権力のトップと、次点の中間管理職の動向にしっかりと注目します。

欲を言えば4〜5人の会話単位の中での序列を全て把握しておきたいです。



2、仕切ってる人の性格を見切る。


自分より下の人をイジるのが生き甲斐なのか、

自分の好きなことを喋るのが好きなのか、

年功序列的に発言権だけは増してるが寡黙で喋りたくない人なのか

を吟味する。この記事では主に喋ることが好きな人物を想定します。

これはちょっと喋ってるうちに、もしくは一緒に活動しているうちに自然と分かってくるでしょう。

ただ飲み会とは酒によって感情が増幅されやすくなっている場ということを意識しておきましょう。

つまり普段は色々我慢している人が酒の力で感情を爆発させて多弁になる例も少なくないということです。



3、自分が喋れるネタが何かあるかを判断する。


基本的には何でもいいです。

もっとも重要なのは会話の流れに即したネタであることです。

あまりに奇異でなければ本当に何でもよし。

面白ければ尚良いですが、面白くなければあなたが新人である限り、上の人の記憶に残らずスルーされるので、思いついたことは喋っていくことが肝要です。



4、喋るタイミングを測る


その会話単位の中で、重要な人たちが大体喋りたいことを喋り終わっているかを吟味します。

多くの人は、会話の中で自分が喋りたいことを喋れないことにストレスを感じるし、自分が喋りたいことを喋って周りから反応が得られると嬉しいものです。

なので自分が何か発言して、重要人物の喋りたいことを喋らせなくさせるのはだけは避けたいのです。


その簡単な判定法は、会話の間(ま)と、ループです。

間(ま)とは、発言から発言の間の時間のことですね。喋りたいことがある人はコンスタントに次から次へと喋っていきます。

そういう時期には発言の邪魔をしない程度に、表情豊かに相槌を打ちます。

そして発言の間(ま)が開いてきた、と思ったときにやっとあなたは喋る権利を与えられます。チャンスは短いので注意してください。


また、ループというのは同じ発言の繰り返しのことです。

重要人物が喋っているときは、会話単位での他のメンバーは重要人物の発言に傾聴しているため、発言の閾値が高くなっています。

そのせいもあって重要人物が10分以上喋りっぱなし、という状況もよくあります。

ただし重要人物もそこまでネタも喋りたいこともあるわけではないので、いつしか同じことの繰り返しを喋ってしまいます。

ここがチャンスです。

それは他のメンバーが喋ってもよい許可を与えられたと見做すべき瞬間です。

ここぞとばかりに面白いことや、気になっている質問をぶつけましょう。

面白ければ評価されるし、そうでなければ顔くらいは覚えてもらえるはずです。



以上が基本的に考えるべき事柄でしょうか。最も重要なのは間(ま)とループを素早く察知することですね。

最後に、ライフハック的に嬉しくなる大前提を書いておきます。



大前提  敬意を払うのを忘れない。(話を聞く姿勢、酒は進んで注ぐ、etc)

     最後の会まで出席する。(例え5次会でも)    

     次の日にお礼


敬意を払うのは当然として、

最後の会まで出席するのはちゃんと付き合えるヤツだというアピールで、

次の日にお礼というのは宴会では記憶が定かでなくなることが多いため次の日に挨拶がてら「こういうことで盛り上がりましたねー」と自分の面白さや存在表明を暗に示すためです。

記憶を定着させなきゃ意味がないのです。

ともかく職場とは違って酒の力で親近感を持ちやすくなっていることを利用しない手はないでしょう。自分の努力閾値も、相手の障壁閾値も下がっています。

飲み会とは、歓心を買うには極めて効率的な場であろうことを認識しましょう。

医者と確実に結婚するための8ステップ(+1

これは僕が又聞きした実話です。
なお医者とは男性医師を指すとし、あくまで女性が男性医師と結婚するための方法とします。
医者を落としたのは看護師で、俗に言う(言うのか?)看護師トラップです。
その実話では、医者には彼女がいたにも関わらずトラップをしかけた看護師がぶっちぎりで結婚を掻っ攫って行ったらしいです。
まあ看護師でなくても使える方法なので書いて見ます。



1、まず医者と知り合う。

看護士なら既に知り合っていますが、そうでない人はお見合いパーティでも何でも駆使して頑張る。
男性会員の半分が医師・歯科医師と謳っている「SEISHIN」
http://www.seishin.com/index.htm
医者の参加費はタダという噂も。



2、飲みに行く

医者に飲ませまくります。
自分が医者よりお酒に強いと上手くいきやすいですが、自分には限界まで薄めた水割りで、医者には高濃度のアルコールを用意するなどして医者を酔い潰します。
記憶を無くし、前後不覚になるまで飲ませることが重要です。
なお1対1でもよいですが、仲間の助けを借りられる人は借りておいた方がよいかもしれません。



3、排卵誘発剤を使う

次の項目で確実にアタリを引くために使います。
もちろん飲みにいく日を調節するほうが楽かもしれませんが、看護師ならそんな薬も使える可能性があるという話です。



4、コトに及ぶ

自分の家やホテルに連れ込んでコトに及びます。
男性自身が意気消沈しているかもしれませんがそこらへんは様々な床テクニックを駆使して頑張ります。



5、驚愕の朝

医者としては驚愕のハズですが医者の記憶がないことを良い事に
「そんなつもりはなかったのに襲われちゃった・・・」
「責任とってよね・・!?」
などあることないこと言い続けます。
罪悪感を植え付けることで目標達成確率を上げます。
さらには
「まあ今日は大丈夫のはずだけど」
なんてちょっとの逃げ道を残しておくことも、医者の蒸発を避けるためのテクニックと言えるかも知れません。
2で仲間の助けを借りられた人は、
「何か二人でホテル街むかっていかなかった?」
なんて証言させるのもよいかもしれませんね。



6、無風の22週間

普通に付き合って仲睦まじく生活するも良し、最悪医者にある程度距離を置かれても気にせず22週間過ごします。
この22週間は一連のステップの中で最も重要と言っても過言ではありません。
くれぐれも体の無理に負担をかけないことです。
詳しい意味は次の項目で。
なおオプションとして、看護師長に
「あんた、あの娘のこと本気なんでしょうね!?」
と、YESとしか答えられないYES/NOクエスチョンで地固めしてもらうのも良い戦略です。



7、天から地獄の23週間目

この22週間は何だったのかというと、「中絶可能期間」です。
それ以降は母体保護や胎児の人命の都合上、禁止されています。
つまりもう「下ろせ」と言われようがなんだろうが下ろせないのです。
ここで初めて医者にこの事実を告げます。
何でもっと早く言わないんだという話ですが、過ぎてしまった時間は元には戻りません。
ちょっとゴネられても我慢します。栄光はすぐそこです。



8、その後

まあどんな意図があろうとも、できちゃったものは仕方ない。
なし崩し的に結婚の日取り決めや、両家の挨拶、職場への報告などを済ませます。
ここまで大きな流れを作ってしまったら、当の夫がちょっと引いてしまってももう遅い。力技で乗り切ります。
無事出産までたどり着いたらゴールです。



いやはやこの看護師のパワーには恐怖を通り越して尊敬の念すら覚えますね。
しかし最も恐ろしいのはこれが実話であることでしょうか。

ところでこの話にはダークサイドもあって、それを追記して終わりとします。


+1、コトに及ぶことに関して

実際医者としては覚えてないわけで、そしたらコトに及ぶという事実はそれほど重要ではなくなってきます。
そもそも泥酔させた場合、男性自身は高確率で使い物にならなくなります。
じゃあ宝ができなくてミッション・インコンプリートになるかというと、ダークな裏技があります。
簡単ですね、近日中に別のオスとコトに及べば良いわけですね。
今の技術では、赤ん坊の成長の個人差などの影響で、受精日を1日単位で確定するのは困難ですから。
ただ血液型だけは注意しましょう。

ある種の精神科患者の評価モデルを考える

精神科の疾患概念は曖昧なものが多い。

乱暴に言ってしまうと、いわゆる潔癖症なんて手を洗う回数が著しく多いだけであって、もの凄くきれい好きな人と、軽症の潔癖症の人なんてほとんど差が無い。

なので精神科疾患は「社会生活に問題が出るかどうか」を基準としているものが結構ある。今の社会で生きていけるならとりあえず大丈夫で、生活できないなら何とかできるようにするという考え方だ。


話は変わって、人が他人を好きか嫌いか評価するとき、それは様々なパラメータによって決定される。例えば「ストレス耐性」というパラメータを用いる。
僕は個人的に、ストレス耐性が高い人が好きで低い人が嫌いである。このようなパラメータを沢山組み合わせて総合したもので、人は他人を好きか嫌いか評価している(というモデルで考えてみる)。


さて最近よく考えるのは、このパラメータ評価モデルをある種の精神科患者に適用すると気持ち悪いことになるなー、ということだ。
さっき例に出したストレス耐性も、低すぎると社会生活を維持できないので病気ということになる。病気の人を差別するのは道徳的にアウトなので、病気のラインを突破した時点でその人を「嫌い」と評価してはいけなくなる。つまり図にするとこんな感じ。

いかにも気持ち悪い。図の2つの黒丸を比べると、ストレス耐性としてはわずかな差でしかないのにも関わらず、人から受ける評価は段違いになってしまう。

この気持ち悪さを何とかスマートにするモデルはないかなーと精神科の先生に聞いてみた。まず言われたのは、
「好き嫌いという感情を主体にした図だから、病気ラインのところで道徳という理性を持ち出した時点で断絶が出るのは当然だろー」と。
うーん、確かにそれはそうだ。でもこの断絶は気持ち悪すぎるので、次の図を考えてみた。

個人的には断絶がスッキリしたし、他人に対してポジティブフィードバックをするがネガティブフィードバックをしないという方法はありなんじゃないかと思った。ただし少しでも嫌いな場合は理性を発動してそれを隠さなければいけないので、このモデルを運用するにはエネルギーが必要になりそうだとは思った。
これに対して先生は、「そのモデルだと不公平性に違和感がある」と。他にも二人で、
病気のラインは精神科医によってある程度変動するのでそれを考慮した方がよいのでは?とか、これはある一時点での話だからもうちょっと時間の概念いれて変動させても良いのでは?とか、30分くらい議論していた。
そして最終的に先生が「じゃあこうすればいいじゃん」って出したモデルが次図。

「全員好きになればいいんだよ」
おおー・・・!!
個人的には、このモデルだと誰に対しても同じく超ポジティブフィードバックになるので、競争や成長との親和性が低くてちょっと違和感があったが、
「それは君だけがそうフィードバックしているだけで、他の人達は色んなフィードバックしているんだからそれでいいんじゃない?子供は勝手に育つっていうでしょ」と一蹴。

いやしかし、こんなところで隣人愛みたいな話になるとは思わなかった。それにこんな凄すぎる評価モデルを実際に回せるようになるためにはどんだけ修行が必要なんだ。病気の断絶は越えたけど、今度は今の自分と目指すべき自分の断絶が大きすぎるぜ・・。

空手の歴史とイメージ練習法

僕は趣味で空手をやっている。まだ帯の色がカラフルなぺーぺー。


先日、道場の先生と話す機会があり、そのときに聞いた面白い話をちょっと書いていく。



まず「空手」という表記について。空手は中国から伝来したものらしく、本来「唐手」と書くそうだ。それがなぜ改名されたかというと、1930年頃、中国と戦争をしていた時代に「唐」の字が中国を連想させるためよろしくないという判断があったからだと。第二次世界大戦中に野球でストライクを「良し」と言っていたのと同じだ。

じゃあ何で「空」という文字を使ったのかというと、どっかの坊さんにお伺いを立てたところ「空」がええんちゃう?みたいな感じで決まったと(wikipediaには般若心経の「空」の概念から取ったと書いてあった)。

空手という字の意味は、徒手空拳でやるからと思っている人が多そうだけど(僕もそうだった)、その真相は軍国主義によって改名された当て字だったのだ。



また現在、空手は素手で打撃のみで行うものというイメージが強いが元々はそうではなかったらしい。空手は大昔に中国から沖縄に伝来した後、沖縄に元々あった武術などと融合し、沖縄で熟成された。基本的には力で相手に勝つことが重要なので、船を漕ぐ櫂とか鍬とか棒とか道具も使うし、投げとか関節技も当然のごとく使うものだったのだ(櫂で砂を掬って目潰しにしたりもするよ)。

そして本土に伝わったのはなんと明治時代。意外と本土での歴史は浅いのだ。当時は既に剣道や柔道が本土で武術として確立している時代である。だから新興である空手がそこに入り込める余地はなく、仕方なく素手で打撃のみを主体とする武術へと変容していったとのことだ。

実際、型を練習してそれぞれの動きの意味を分解していくと、投げ、掴み、捻りなどの動きや、どう考えても棒か何か持っているような動きが多いことに気づく。空手は隙間産業だったのかー。



最期に、最強を素手による効率的な人体破壊だと限定してちょっと考えてみる。そうすると最強を目指すという意味でのフルコンタクトの空手(ホントに殴りあう空手)やいわゆる総合格闘技はやはりかなり限定された状況下で行われている競技だと思った。最強なんて言ったって、目潰し・金的はダメだし、捻りと打撃を加えて骨を折ったり、首を捻って一撃必殺もできない。実際に模擬的に動いてみると、人体なんて簡単に破壊可能ということが分かる。

最強を目指すならば今書いたようなことを積極的に行っていかないといけないけれど、それには問題がある。練習ができないのだ。

そりゃそうだ、骨が折れたり失明したり最悪死んだりするような行為は練習できるわけが無い。すぐ治る打撲とはわけが違う。つまり最強へは、実物を使った練習を経ずに辿り着かなければならない。そうすると練習方法はイメージトレーニングしかない。結論として、最強への近道は敵の動きをどれだけリアリティーを持ってイメージできるか、ということになった。


余談だけど今読んでいる苫米地本「洗脳護身術」に、精神の基礎体力を付けるのに武道を習うのが良い、と書いてあったのと繋がって面白い。


まとめ。練習するときは突きや蹴りの機械的な動きを極めていくのみならず、イメージ力を高めて総合的に役に立つような動き方を練習すべきである。

日常をぶっ壊す魔法の言葉

日常的な会話はとても平和。

当たり障りの無いことばかり会話され、あんまり新しい情報は出てこないし、基本的には確認と共感のために行っている人が多いと思う。例え相手の言うことが聞き取れなくても「えーあーうん、そうかも」とか言っとけばとりあえず問題は起きないレベル。

個人的にはそういうことにエネルギーを割きたくない。創造性も面白みもあったもんじゃない。というわけで僕は強い言葉を使うことでそれを回避している。


強い言葉とはどんなものか?

「え、どうやったらそういう考えになるの?甘すぎるやろ」

「矛盾しまくってるやん、その発言」

「そんなん当然やんか。これはこうで・・・」          こんな感じ。


強い言葉でなぜ無意味な会話を避けることができるのかと言うと、議論になるからだ。批判された人が反論したり、なぜそんなことを言うのかとむしろこっちが攻撃されたり。議論になると、自分の立ち位置を明確にしたり、責任ある発言をせざるを得なくなる。

その結果その人のナマの考えが垣間見れて非常に興味深いし(人の思考回路覗くのってめっちゃ楽しい!)、それなりに整合性や一貫性のある言動をする必要が出て自分も鍛えられる。最近話題のプロ・アマ論では、自己鍛錬が習慣化されてるのはプロの条件らしいし重要なポイントだ。

あとはメッセージ性が高くなるのも見逃せない。別に易しい言葉でも言えることをあえて強い言葉を使っているのだから、メッセージ性は高くなって当然なんだけど。例えば「そういうのもありだと思うけど、こっちの方がベターかなー?」ではなく「いやいやいやいやセンスないわー、その選択。こっちに決まってるやんどう見ても」などなど

メッセージ性が高いと何か反応が起きる可能性が高くなる。つまり触媒性が高いとも言える。正しさではなく、情報の拡散度を価値観の主体にするならかなり使える。


強い言葉を別の観点から見ると、日常の膜を破って議論の場を形成する呪文といってもよいかもしれない。人間の対外定型プロトコルをぶっ壊して、魂の叫びを聞くための呪文。

日常からは見えない魂には何が潜んでいるか分からない。とてつもないモンスターに自分の魂がコテンパンにやられて痛手を負うかもしれないし、レア物を見つけてその構造に畏敬の念を覚えることもある。どちらにしたって定型プロトコルに処理される会話よりは確実に自分の糧になる。ビバ・成長。もちろん相手にも同様の経験値が入るはず。ビバ・与えるメソッド。


※注意事項

・中途半端にやると空気読めてない痛い子のように見えてしまう。ちゃんと空気を壊してる感じをアピールしよう!結界を張るイメージ!

・心が弱い人が使うと跳ね返ってきた魔法で死ぬかもしれない。人を呪わば穴二つだね!

・自分の魂レベルを明示することになるので、余りにレベルが低いことを言うと評価が下がってしまうぞ!

・実生活での権力が強すぎる人に仕掛けるともの凄い仕打ちを受けることがあるぞ。仕送りを止められるのはかなりツライ!

連続で同分野の本を読んだとき

先日、梅田望夫の「ウェブ進化論」、ひろゆきの「2ちゃんねるはなぜつぶれないのか?」を2冊連続で読む機会があった。そのときの自分の心境の変化を書いてみる。


ウェブとの親和性を上げないとなー。とりあえず読もう。

ウェブ進化論

うおぉぉぉ何コレwwwwwww!ウェブ凄い、ウェブ超凄い!!!!!「あちら側」めっちゃ行きたいチョー楽しそうwwwwwwwまじで取り残されたらヤヴァイ!やばいじゃなくてヤヴァイwwwwwwあたまパーーーーーーンwwwwwww

googleテラかっこよすwwwwwww「世界政府と言うものが仮にあったとしたら、そこで開発しなければならないシステムは全てgoogleが開発する」ってwwwwwwうぇwwwwwwwwwwその上テラ破壊的wwwwwww既得権益者涙目wwww

ほかにもオープンソースとか総表現者社会とかwwwwwwwwwめっちゃ壮大wwwwww激動の時代wwwwwwwビッグウェイブにも程があるwwwwwwちゃんと乗りこなせよ俺wwwwwww

みwwなwwwぎwwってwwwwきwたwwwwwwとりあえず知識を付けるんじゃーいwwwwwww

ひろゆき

・・・・・・・・風呂でも入るか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・梅田望夫って理想論者なんだ・・・・・そっか・・・・・・・・・・・・・・そうだよな・・・・・・結局googleも金儲けがしたいんだよな・・・・・・・・・・・APIの公開なんていっても・・・・・・立場が危うくなったらアカウント止めたりもするんだな・・・・・・・・・・・インターネットもただの道具だよな・・・・人生楽しむための道具だよな・・・・・車とかと変わらんよな・・・・・



考えたこと。

自分の知識がない業界の話は客観的な評価を下せない、というのを身をもって久しぶりに体験した。ウェブ進化論はウェブの現在と未来を中立的に記述した情報ではなかったようだ。中立的ではなかったが、ウェブについての興味を起こさせ行動を促すような情報ではあった。つまりウェブ進化論を読んだ直後、僕の思考は励起状態にあった。だからこそ睡眠時間を削ってでも、連続でひろゆき本を読む気になったのだ。

そしてひろゆき本。読まなきゃよかった、というと語弊があるかもしれないが、もっと後に読めばよかった。というのは思考の励起状態ひろゆき本を読んでいる最中に完全に沈静化してしまったからだ。ひろゆき本がかなり現実的で夢のないような内容であったために励起はキャンセルされた。もちろんひろゆき本を読まなくてもいずれは励起は沈静化するのだけれど、それまでに本を何冊・ホットエントリをいくつ読めたか分からない。マリオやっててスターとったのになぜか一瞬で効果が切れたみたいな気分だ。

いまでもウェブに興味はなくなったわけではないけれど、やっぱり知識をつけるためにはある程度のエネルギーが必要だ。励起状態ではゴミみたいなエネルギーだけど、通常状態では結構なもんで。