子供が救急に搬送されて死んでしまったときのシステム

こないだの救急実習中、搬送されてきた2歳くらいの子供が死んだときの話。悲しかったなど感情の話ではなくあくまでシステムの話。



搬送されてきた時点ですでにCPA(心肺停止状態)で、数十分間の蘇生を試みた。まあ自分は学生だから見てただけだけど。


処置としては、心臓マッサージ、気管挿管(気管にチューブを入れて人工呼吸)、静脈ルートを2本取り(薬を打つためには静脈との交通が必要)、心電図検査、SpO2モニター(血中の酸素飽和度を見る)などを行った。このような処置を先生方が分担してテキパキと無駄なく施行したが、子供は死んでしまった。



死んだ後、その事実を親に伝えなければならない。その前に様々な処置によってゴチャゴチャしている子供の体をある程度キレイにする。その際重要なのは、静脈ルートを1本と挿管チューブを除去せず入れたままにすることだ。そして最後に毛布をかけ、頭部のみ露出した状態にしておく。


そして親と子供を対面させる。親は救急車に同乗して子供の心臓が止まっている様子などを見ているので、すでに半狂乱。「嘘でしょう・・・!?」と泣き叫び半笑いになりながら処置室に入室してきた。


対面後泣き叫ぶこと20分ほど経った頃、先生が「我々も最善を尽くしたのですが・・。蘇生するために処置を色々したので、チューブなど繋がったままです。それらを取り除いて体の方をキレイにして差し上げたいのですが…」という内容のことを両親に伝えた。


ここで残しておいたチューブが生きてくる。チューブを取り除くという名目で、自然に両親を退室させることができる。両親は少し粘るものの「子供をキレイにする」という内容は受け入れ難いものではないので、そのうち退室してくれる。



医療サイドとしては「死んで悲しい」なんて言ってる暇なんてなくて、その後も警察呼んだり、X線写真のオーダーをしたりと作業はまだまだあるのだ。まさか「まだ死んでないよね?目を開けてよーーー!!」と言ってる両親がいる横で、「搬送後の患者が亡くなったので…」と警察に電話なんかできない。かと言って「警察に連絡するので出てってください」とももちろん言えない。わざとチューブを残しておくことによってこの辺りの問題が丸く収まる。



その後は色んな事務処理をしながら警察が来るのを待ち、警察と事実内容の確認を行い、行政解剖のために死体を警察署に運ぶこととなった。そして警察署に運ぶ直前にもう一度両親と面会させる。


これは、両親に一度子供を抱かせ、自らの手で警察に引き渡すことによって、子供の死を現実のものとして受け止めさせ、「無理やり連れて行かれた」みたいな印象を持たせないためだろう。



結局両親が面会していた時間は1時間もなかった。自分の肉親が死んだときに死を悼む時間が1時間もない、というのはやっぱり短いなーと思う。でもここが3次救急施設である以上仕方がないのだ。3次救急施設というのは、人口50万人当たりに一つ設けられ、高度な医療を必要とする患者を受け入れる施設である。つまりいつ死に掛けの患者が来てもおかしくない病院なのだ。


親がしつこく居座るので次に来た交通外傷の患者が死にました、なんて洒落にもならないのだ。



あるいは救急医療が手厚くなって、救急医の数が2倍になって処置室が増えて、なんてことになれば1時間で親を追い出すこともないかもしれない。余りに非現実的ではあるが。。




しかしチューブをわざと残すなんて技術があるだなんて思ってもみなかった。

あったらいいなーと最近妄想するもの

1、温度調節機能付きのシャツ
 暑いとか寒いとか、そういう温度環境に思考を奪われたくない。30℃を超すような日には、10分に一回はつい「暑い」と思ってしまうわけだが、そんな環境は許せない。ほんとうに不快。でもこんな素敵なシャツがあればかなりの改善になると思う。室内でも人によって暑い寒いの感じ方に違いがあったり、会議中なんか暑くても何か言い出せない雰囲気になってたりしてイライラしたり、そんな問題一発解決。
 充電式で数時間は持って、それなりに軽量で、着心地がそんなに不快でなければ、絶対に売れると思う。そんなのがあれば10万くらいでも無理して買ってしまうなー。今ある技術を組み合わせたら作製は困難じゃないと思うのだが。


2、部屋単位で快適な気候を再現する機械
 夏はクーラー、冬はストーブがよく使われるものですが、そんな程度で満足できない。ストーブを使ってて頭は暑いのに足が寒いし乾燥して風邪引くとか、クーラー使っててまだ暑いのに腹が痛くなって消す羽目になるとか、部屋内の位置によって不均質な温度とか、タイムラグとか、輻射熱とか、湿度とか。あー不快。
 北海道のセントラルヒーティング(?)は割りと優秀な気がする。よく知らないけどあれは床とか壁全体から暖めるので、輻射熱を上手く利用している形になってるはず。同じ考え方で夏は壁の中に冷水を流せばよいのだろうか、よくわからん。
 この機械も現在の技術を使えば作れるんだろうけど、かなり高価になるだろうしきっと需要が無い。みんなクーラーとストーブで満足していそうな気がする。不快じゃないんだろうか。


3、自分が知覚したものを記憶してくれる機械
 触覚嗅覚味覚温痛覚振動覚深部感覚は難しそうなので、視覚と聴覚だけで。要するにビデオカメラってことになってしまった。でもちゃんとこの機械が実生活で役に立つためにはビデオカメラより高スペックでないといけない。それは、携帯くらいの大きさ、好きなときに出力できること、録画時ハンドフリー、ファミコンの反応の速さ、最低1年分くらいの情報は保存可能とか。オプションで、ニコニコ動画みたいに音声を言語化して動画上に流すっていう機能があるとなお便利。
 この機械は寝ている間以外常に作動させておきたい。勉強をしていて「あーここ何だっけ、前は理解してたのに。確かあの授業で言ってたんだけど」っていうのは誰もが経験したことあると思うのだが、この状態になったときに常に調べなおすかと言うとそんなことはない。授業の資料を引っ張りだしたり、教科書を調べたり、ネットで検索するなんてめんどくさい。もしこんな機械があれば確実に1分以内で到達できる情報なのに、他の方法だと下手したら数時間かかる。この数時間はドブに捨てたも同然。
 他にも利用できる状況は色々思いつく。言った言わないの水掛け論は完全になくなるし、犯人の目星さえ付けばデータ見て速攻逮捕、客商売なら人の顔覚え放題、視聴すればCD買う必要ない、本も立ち読みでページパラパラ→あとで読む、などなどなど。
 というかこの機械が普及したらきっと凄いことになるな。色んな価値をぶっ壊して再構築できる可能性が十分ある。全ての言動が監視されることになるからたった1回の失言が信用をゼロにしたり、あの娘の動画保存しまくりでストーカー歓喜wwwとか。いちいち考えないと喋れない世界なんて幸せなのか・・・というのはまた別の話だから今度考えよう。まあとりあえず1台200万くらいにしたらそんなに普及しないかな。僕は車買う金があるなら絶対この機械買うけど。



 よく考えたら3番目の機械は、乙一が書いたJOJO第4部の小説に出てくるスタンドに激似だ。知らない人のために書いておくと、そのスタンドは「the book」と言って全ての記憶が一冊の本に文字として記録されるというもの。上に書いたビデオカメラとの相違点の条件にもほぼ当てはまるし、ここまで書いてから気づくとは。。。 >>id:tetsukawa パクリ乙。

価値が減衰している言葉

価値が減衰している言葉というものがあるなーと気づいた。
例えば「子供が好き」「夢のために」「いいひと」「かわいいー」「リサイクル」などだ。


価値が減衰しているというのは、その言葉を不適切に使用する人が多いことにより本来の意味と同程度の強度を保てなくなっているということだ。特に「いいひと」なんかはわかりやすいと思うのだが、「田中くんっていいひとだよねー」なんて他に表現のしようがないために仕方なく使われていることがほとんどだ。何かの基準で優れているから「いいひと」と評される場合なんて皆無。


さて言葉の価値が減衰していくとどういう問題が起こるのかを考えてみる。

1、人によってその言葉による影響力が異なる

その人の経験・環境によってその言葉の捉え方が変わってくるということだ。「かわいい」を実際にかわいいと思って使っている人(A)と、いわゆる女同士で何でもかんでも「かわいい」を連発している人(B)とでは意味や強度が変わってくる。前者の意味としては本来のかわいさで、強度はそれなりに高い。後者では脊髄反射のように使用されるため強度は低くなるが、本来のかわいさに加えて挨拶のような意味も含むようになっている。


2、影響力の違いによって誤解が発生する

上の例でAからかわいいと評されるのとBからかわいいと評されるのとでは意味が変わってくることは示された。しかし実際にはどの人がAタイプでどの人がBタイプなのかは分からない。これはとくに匿名が多いネット上で顕著になる。さらに自分が「かわいい」というときも相手からどのように受け止められているかわからない。また、自分がBタイプの人でも誰かから「かわいい」と言われたときにBの意味で受けるとは限らない。


ということで問題はいくつか派生していくが、対処法も重要だと思う。やっぱり対処法と言えば、そういう微妙な言葉は使わない、ただし確実にこちらの意図に沿う意味に受け止められる状況なら使う、だと思う。AタイプはBタイプを馬鹿にする傾向もあるような気がするので、できるなら使わない方がよいだろう。
僕は「いいひと」なんて表現を無意味に使う人間を心の底から信用しません。この前知人が「いいひと」を連発していたのが何だかむかついて書いたのは秘密。

「ククッ・・大人は質問に答えたりしない・・!」 by 利根川

というのが基本ですが、最近ぶっちゃけ祭りの大人に出会った。

講義中に脱線しては、「今回の教授選で誰々が勝ったのは、彼と彼があの報復のために結託して・・」「準教授クラスでも年収は1000万超えないけど、あの人はなぜか豪邸建ててる。その理由はこういうとこと癒着して・・」「都心のビルで開業している先生たちの儲けるテクニックは・・・」などなどなど。非常に勉強になった。

医学部の上のほうでは、どういう選択肢があってどういう身の振り方がベストなのかなんて、学生の自分では知りようもない。「北見赤十字病院の内科医6人全員が退職」というニュースがあったが、医師を派遣していた大学の教授がどういう思惑でそれを決断したのかなんて分からない。そういう裏話を知っている身分の人達はそれを喋ることが基本的に自分の不利益になるだろうから、非常に有難かった。


「知っている立場になると喋ることが不利益という状態」というのは割りと汎用的に成り立つ状態かなーと思った。薬屋と医者の関係しかり。どんな状態なのか考えてみる。

1、システムを構成するメンバーは、システムに参加することで利益を得ている。
2、知っている・知らされているということは、つまりwin-winの関係を築ける程度の権力や素質を持っているということである。構成メンバーであることが多い。
3、やりすぎない限り誰にとってもデメリットはない。

薬屋と医者で話を考えてみる。薬屋はある分野で薬効が2番目に強い薬を持っていて、医者はその分野の薬を買おうとしているところ。2番目の薬は2番目というくらいなので、ある視点からみれば1番目よりも優れている点もある。薬屋はそれを凄く売りたかったので、その医者にアプローチをかける、「講演会をしませんか?」。医者としてはある程度以上ならどの薬でもよいのだが、講演料をゲットしたいので2番目の薬を選ぶ。そんな感じ。

誰にもデメリットはないが、強いていうなら患者が損しているだろうか。でもそもそも1番目と2番目の差が圧倒的ならこんなことはできないからほぼ問題ない。法律には無知だけど「薬買ってくれたら講演会開きますよ?」「講演会開くなら薬買うよ?」なんて絶対言わないし、客観的な証拠なんてないだろうからそんなに違法でもないんだろうし。


こういうことがどれくらいの頻度であってどんな立場にいれば参加できるのかとか分からないことだらけだけど、出来る立場になったらちょっと参加してみたいなー面白そう。


関係ないけどカイジは大好きです。

「人に優しいメソッド」のデメリット

先日、友人と電車に乗る機会があった。2人なのにで空いている座席は1つ。そのとき僕のとれる行動は

A「僕は大丈夫だからキミ座りなよ」
B「お前確か立ってんのが好きって口癖のように言ってたよな。じゃあしゃーないから立つほうを譲ったるわ。あー立ちたかったなー。」(無駄に関西弁)

どちらがよいのか。もちろん場合によるのだが、実際に僕がとった行動はBだった。その理由は僕の行動原理が「おもしろさ志向」で、「人に優しいメソッド」が嫌いだからだ。


本題ではないがおもしろさについて。おもしろさは短期的にも長期的にも目標になり得るし、プラスの感情の源泉だし、成長を促す作用もある。これほど単純で汎用性の高い構造はなかなかないと思っていて、とても気に入っている。


そして「人に優しいメソッド」。これは基本的には汎用性が高いし共通言語のような作用もあるのだが、様々な問題点を孕んでいる。

例えば強制力。
Aのようなセリフを僕が言ったならば、友人は「ありがとう」や「僕は遠慮するからtetsukawa座りなよ」というようなセリフを吐かなければならない。これは友人が別に有難く思っていなくても遠慮する気がなくても、人間関係を円満にするために必要である。構造的には僕がAを言うことで友人の行動を強制していると言える。

例えば低レベルなコミュニケーションの発生。
Aを言ったから友人は「ありがとう」といわなければならないのだが、この「ありがとう」の非生産的っぷりは酷い。もちろん感謝の意を伝えるという意味で改善の余地なんてあまりないのだが、誰でも予測できるし完全に使い捨てのセリフで誰の心にも響かない。これもAを言わなければ発生しない状況であり、なおかつBを言えば友人はもっとクリエイティブな発言ができる余地がある。

例えば上から目線。
Aの発言は立場が上の人間の発言である。もちろん完全にいたわりの気持ちから発露した場合もあるだろうが、外から見たら分からない。友人はもしかしたら「なに上から言ってきてるんだよ」と思っているかもしれない。

例えば距離感。
優しさは度が過ぎればうざい。となりのおばちゃんがくれる手作りの煮物とか、ちょっとうざく思う人も多いだろう。友人「ほんの5分なのに席ゆずるのが優しいとでも思ってんのか、ビチグソが」

例えば無自覚さ。
この状況でAを言う人はとても多いのだと思う。でも今あげたような問題点を認識している人がその中でどれだけいるだろうか。知らぬ間に友人から嫌われているかもしれない。無自覚や無知は本当に怖い。



帰省すると昔の友人などと会えて楽しいですね。

小・中・高・大の学習環境の違い

主に「小・中・高」と「大学」の違いで、大学は勉強し辛いなーという話。

 最も大きく異なる要因は、リミットが設定されているかどうか。
 リミットというのはここまで勉強すればよい、という境界のことだ。小・中・高までは教師や教科書がそのリミットを設けてくれている。基本的にはどこの学校でも同じ内容のものを勉強させられ、小学校レベル・中学校レベル・高校レベルとカッチリ決まっている。死ぬほど大量の勉強量ってわけでもないし、使う教科書によって内容が大幅に違うなんてことはまずない。
 ところが大学ではリミットを自分で作らないといけない。教科書毎に内容なんて全然違うこともしばしばあるし、教師だって自分の専門分野ばかり喋りがちでリミットの設定なんて興味なさそう。どこまで勉強すればいいのか非常に分かり辛い。
 小・中・高と大学のリミットの違いは、ダムに水を貯める作業でイメージしている。たまった水の水準が高いほど、学力が高いことを意味する。小・中・高では大人たちが作ったコンクリート製のダムにただ水を貯めるだけ。求められる作業は水をいれることのみ(純粋な勉強)ですごく簡単。一方大学では自前の砂でできたダムに水を貯めるような作業。ダムの設計から始めて頑張って自分で作らなければならないし、水漏れし放題だし、なかなか水なんて溜まらない。水を貯める作業に割く時間も減る。
 上の例でわかるとよいのだけれど、リミットがあることの一番のメリットは勉強だけに時間を使えることだ。

 さて次に大きな要因は(リミットの話にも関わっているが)教師の質だ。
 小・中・高の教師の質は均一で高いが、大学の教師の質はピンキリで基本的には悪い。大学の教師がなぜダメかというと、やはり教師としての教育を受けていないからだろう。pptを作ってこなかったりレジュメを持ってこなかったり板書が汚かったり最先端過ぎる話をしたりなぜか全て英語で講義したり(外国語の授業ではない)と、要するに教えるということに理解が乏しすぎる。その点、小・中・高の教師は真面目に聞いてさえいればしっかり理解できるような授業のクォリティを維持している。
 どうしてこのような状況が生まれるのかというと、受験の存在が大きいように思う。小・中・高から次の段階に進むには受験があり、そして受験の内容は就職活動に比べて基本的には均質である。また特に小・中はPTAなどの外部組織によるチェックが厳しいこともあるだろう。


 今回考えたことは大体こんな感じ。授業内容と国家試験に必要な知識が違いすぎて困って書いた。実は小・中・高より予備校の方がクォリティ高いような気もしてきたけれど、あんまり行ったことが無いのでパス。とりあえずもうちょっとサボらずに更新したい。

あなたの価値観教えてください(「遥か彼方の彼方から」より)

http://d.hatena.ne.jp/tek_koc/20071103/1194049560

権力、健康、学歴、愛情、名誉、金銭、誠実の7項目に優先順位を付けて人の価値観を垣間見ようとするアンケートを発見したのでやってみる。

1位、健康。生物としてもっとも基本的であらゆる活動の基盤になるので当然の1位。人間に特徴的な高次の精神的活動を行えるのも、前提として健康だからというのがあると思う。

2位、権力。他人に干渉する・できるという行為には非常に興味があるし、これでしか得られない優越感があると思っている。

3位、金銭。その量や使い方次第ではあらゆる物事が可能。ただし実際の生活として、ある程度以上の衣食住と保険が確保できるだけの金があれば十分だと考える。例えばこの条件を満たす金が総額5億円だとすると、もし10億円稼いだところで生活の磐石っぷりが99.9%から99.99%にあがるだけのような気がする。それ以上に金がほしいと思ったとしても、それは金を持つことによって欲望が自己生産されているだけだと思う。

4位、愛情。そもそも人によって、正確にはその人の経験によって「愛情」という言葉によって惹起される感情やイメージが異なる。また本来的に客観性を排するような性質を持っているのでそんなに好きじゃない。しかし可愛い猫を「かわいい」と感じている間は幸せなのは確かであって、「猫の眼と眼の間やヒゲの長さを計測して何cmだからかわいく見える」みたいな客観的な尺度を持ち出すと最初に感じていた幸せな気持ちが減衰するのも確か。謎は解明しない方がパワーがあるという話。

5位、学歴。自分自身の学歴によって今まで得したことも損したこともないように思う。それは就職活動からは無縁なだけで、もし就職活動を経験したならばそれなりに重要だと思えるのかもしれない。ただ、他人の学歴についてはある程度の判断基準になると思うのでそれなりに有用性のあるツールだと思う。

6位、名誉。名誉という言葉には、不特定多数からの賞賛・羨望という印象を持っているが、不特定多数から高く評価されたところでうれしくとも何ともない。むしろ不特定多数に知られていることによるデメリットの方が多いような。

7位、誠実。まず言葉として思考停止ワードなので嫌い。安易すぎるし漠然としすぎだし主観に頼りすぎ。「人に対して誠実であれ」とかいうセリフを吐く人間は信用できない。もっと客観性な視線に耐えうる言葉を使って欲しい。


と価値観をさらけ出してみた。ちなみに1位2位3位が圧倒的上位で3位と4位の間には越えられない壁があり、4位以下はゴミみたいなもんだと評価している。言葉の定義から入ってそこから派生していく過程を見ていくと、それなりに人の価値観や思考経路が見えてくるような気がして面白い。ただ問題設定にちょっと突っ込んでみると、7項目に選ばれている言葉のほかにもっと大事なものがあるだろー、と僕個人は思う。もちろん汎用性は高そうなのだが。