小・中・高・大の学習環境の違い

主に「小・中・高」と「大学」の違いで、大学は勉強し辛いなーという話。

 最も大きく異なる要因は、リミットが設定されているかどうか。
 リミットというのはここまで勉強すればよい、という境界のことだ。小・中・高までは教師や教科書がそのリミットを設けてくれている。基本的にはどこの学校でも同じ内容のものを勉強させられ、小学校レベル・中学校レベル・高校レベルとカッチリ決まっている。死ぬほど大量の勉強量ってわけでもないし、使う教科書によって内容が大幅に違うなんてことはまずない。
 ところが大学ではリミットを自分で作らないといけない。教科書毎に内容なんて全然違うこともしばしばあるし、教師だって自分の専門分野ばかり喋りがちでリミットの設定なんて興味なさそう。どこまで勉強すればいいのか非常に分かり辛い。
 小・中・高と大学のリミットの違いは、ダムに水を貯める作業でイメージしている。たまった水の水準が高いほど、学力が高いことを意味する。小・中・高では大人たちが作ったコンクリート製のダムにただ水を貯めるだけ。求められる作業は水をいれることのみ(純粋な勉強)ですごく簡単。一方大学では自前の砂でできたダムに水を貯めるような作業。ダムの設計から始めて頑張って自分で作らなければならないし、水漏れし放題だし、なかなか水なんて溜まらない。水を貯める作業に割く時間も減る。
 上の例でわかるとよいのだけれど、リミットがあることの一番のメリットは勉強だけに時間を使えることだ。

 さて次に大きな要因は(リミットの話にも関わっているが)教師の質だ。
 小・中・高の教師の質は均一で高いが、大学の教師の質はピンキリで基本的には悪い。大学の教師がなぜダメかというと、やはり教師としての教育を受けていないからだろう。pptを作ってこなかったりレジュメを持ってこなかったり板書が汚かったり最先端過ぎる話をしたりなぜか全て英語で講義したり(外国語の授業ではない)と、要するに教えるということに理解が乏しすぎる。その点、小・中・高の教師は真面目に聞いてさえいればしっかり理解できるような授業のクォリティを維持している。
 どうしてこのような状況が生まれるのかというと、受験の存在が大きいように思う。小・中・高から次の段階に進むには受験があり、そして受験の内容は就職活動に比べて基本的には均質である。また特に小・中はPTAなどの外部組織によるチェックが厳しいこともあるだろう。


 今回考えたことは大体こんな感じ。授業内容と国家試験に必要な知識が違いすぎて困って書いた。実は小・中・高より予備校の方がクォリティ高いような気もしてきたけれど、あんまり行ったことが無いのでパス。とりあえずもうちょっとサボらずに更新したい。