他人の視点
「人は自分に興味が無い」
ということを前提においておかなければならないな、と思う今日この頃。
そうでないと痛い子認定を受けてしまう。
誰にでも経験があるだろう、興味のない話をされて「こいつウゼー」と思ったことは。
友達が「きのう新宿でA君と飲んでてさー、その店の唐揚げがちょーうまかったさー」なんて話をされてだれが喜ぶだろうか?
その友達ともっと仲良くなりたい恋人に昇格したいとか、前々からその店やA君について知りたいと思ってたり、何か会話が無いと気まずい状況でない限りは、客観的な面白みの話なんて聞きたくない。
もちろん内輪ネタが面白いことは認める。でも内輪ネタは内輪だからこそ面白いのであって、内輪以外への効力はゼロだ。
しかも内輪ネタを喋るためには、この仲間内での構成員はそれぞれこういう関係で自分の位置はこうだからここまで言うのは許されるけどこれは言ってはいけないなどと、状況を分析しなければ再現性のある話はできない。
そういう分析をするくらいなら、そんな必要のない一般的な面白さのある話をする方が、努力のし甲斐があると思う。
再度書いておく、「人は自分に興味が無い」
もちろん誰だって自分の話をしたい。
自分の感じたことを感情そのままに喋るのは、本当に楽しい。
昨日食べた夕飯のこと、ある事象に対する自分の見解。それを肯定されるときは、至福のひとときだ。
でも自分だけでなく、他人も自分の話をしたがっている。
誰もが好き勝手に振舞うならば、会話は成立しない。
そこで自分の喋りたい欲求を我慢すると、割りとうまくいく。
自分の話をできないフラストレーションは溜まるだろうが、痛い子認定を受けないということや、聞き上手と評価されるメリットも確実に存在する。
自分の話をできないフラストレーションなんて大したことじゃないと僕は思うので、他人の興味がない話もしっかり聞くようにしているつもりだ。他人から高評価を受ける方がよっぽどお得感がある。
これを自分の行動原理の核に近づけておきたいと思う。